「30歳を過ぎて自分自身を振り返ったとき、20代前半でやらなくちゃいけなかった立ち位置とか現場への入り方…これまでもっと学ばなくてはいけなかったことがたくさんあったはずなのに、それをないがしろにしてきたところがあるなと思っていたんです。そこをしっかりひとつひとつ通っていかなければこの先40代、50代、60代になったときに役者としての土台がしっかりしないんじゃないかという思いもあり…。また、やったことのないフィールドでのお芝居に対して“いつまでも挑戦していたい”という思いも湧いて、“よし、やろう”と思いました。もうひとつ。直接の動機は、自分の親父です。だんだん体調を崩し、もうまったく動けない状態になって…間近でそんな親父を見ていて“人生、まだやり残したことがあるんじゃないか?”って考えたことが、自分のことを気づかせてもらうきっかけにもなった。この舞台がたまたま『生きる』という作品で、父と子の話だったことも大きかったです。これもなにかの縁じゃないかな、と」
「あ、いえ。そこは半ば強引に“イエスになろう”という感じでした(笑)」
「24歳のときに一度ブロードウェイに舞台を観に行ったんです、ひとりで。突然“行きたい!”ってなって、3日後にはホテルも決めずに出発。とりあえずタイムズスクエア周辺に一週間滞在して、とにかく毎日舞台を観に行きました。そうしたらどの作品も演者たちがすごく楽しそうで、舞台上から“自分の居場所はここしかない!”って訴えかけるように輝いていたんです。僕は言葉も通じない隣の席の年配の方と眼を合わせながら腹抱えて笑ったり、なんかもう舞台っていうカルチャーが生活の一部のようで、日本よりももっと身近にあるものだと感じられて…そのときに“あ、いいな。役者ってなんて素敵な職業なんだろう”って思いました。しかも、どの作品にも品格があるんですよね。それぞれにメッセージもポテンシャルも色味も全然違っていて…自分も“舞台に立ちたい!”って、力量とか全然考えずに衝動的に奮い立つくらい、舞台に立っている人たちが羨ましくてしょうがなかった。これだけ自分がやりたいことをできている人たち、自分が居場所だと思える場所がある人たちがいるっていうことが、理屈抜きにすごいなと思いました」
「エンターテインメントとして楽しんで受け取るものはたくさんあったけれど、実際にやろうとは思わなかったです。そのときはミュージカルは自分にとっては“やっぱり観るモノだな”って思っていました」
「数ヶ月前から作品に関わり始めていろんな段階を経た今、本格的に稽古をやっていると本当に本番が楽しみになります! こんなに素敵な方たちとご一緒できて学ぶこともたくさんありますし、原作、脚本、音楽、演出…これだけ恵まれた作品もなかなかないと思うので、とても充実しています。もちろん楽しい分、壁もすごく多いですが、それがまた、いい。正直怖くて怖くて稽古が嫌だなと思う日もあります。でもそれと同時にもうひとりの自分が“これだけ挑戦できる現場なんてなかなかない機会だ、ありがたいな”って思っていて、最終的にはこの舞台の公演を終えたときに自分はなにを感じるのかという期待につながっていく。現場ではいろんな自分が入り交じっています」
「僕は“ミュージカルだから歌が一番”、とは思ってないです。なぜここは芝居じゃなきゃいけないのか、なぜこっちは音楽でなければいけないのか。メロディーに乗せることで言葉を失ってしまうこともあるし、メロディーに乗せたほうが胸の奥まで届いていくこともあるし。僕が今までやってきたことも総合芸術ですが、ミュージカル作品はそこにさらにプラスα、よりさまざまなアイテムを使ってお客様に物語の世界を届けられるのが魅力です。歌が一番じゃない、お芝居が一番じゃない、演出が一番じゃない。全部統括されてまとまったときに初めてミュージカルとなる。基本的には普段役者をやっているときと感覚は変わりません。役者としての理想は“振り向いたら芝居をしていた、その役に向かい合っていた” という状態が一番なので、稽古中はよりそこへ近づいていけたらいいなってことは何度も何度も思っています。もうね、すごく贅沢なことなんですよ。頭から最後まで感情が途切れることなく演じられるというのは。映像の現場はカットの積み重ねでどんどんお芝居を割っていくので、ここまで頭から最後まで流れを創っていけるというのは役者の本望です。それができるのはやはり舞台だけなので、学ぶことは本当に多いです」
「古き良き日本人の心…戦争が終わって7年、昭和27年の日本の物語です。いろんな文化を取り入れながらも、まだまだしっかりしたルールが決まっていない時代。そんなときだからこそ、より人情で交流をしていた時代なんですよね。黒澤監督の映画を観ていると、すべての“眼”が生きているんですよ。主役もエキストラもカメラも照明も、すべてが輝いている。画に映る側も画を創る側も躍動しているのが伝わって来る。だからこそ、こうした感情的な作品ができるのかなとも感じています。演出の宮本亜門さんが生み出す稽古場の雰囲気も、僕はスゴく好きです。亜門さんはホントに情熱的で、人をしっかり見極め、その人に伝わるように丁寧に向き合ってくださる方。しかも品格がありますし、演出もとても緻密。繊細で独特のセンスでなんていうのかな、日本だけの感覚じゃないところがたくさんあるように感じています。おそらくこのミュージカル『生きる』は、日本の観客だけではなく、海外にも向けた魅せ方にもなっているんじゃないでしょうか」
「市村さんと鹿賀さんの存在感、まったく違うんです。言葉を捉えてくれるところも違いますし。市村さんはホントに繊細で、見せ方はもちろん在り方のひとつひとつをとても大事にして、稽古でもしっかりとひとつひとつ踏みしめ、疑問は絶対残さない。そして、とてもチャーミングな方。一緒にいてスゴく楽しく芝居をさせてもらっています。鹿賀さんは背中ですべて見せてくださるような包容力を感じます。“心をしっかり込めないと演じきれない役だから”とおっしゃっていて、本当にしっかりそこに心がある。おふたりの歌声を目の前で聴いていると、それだけでもう涙が止まらなくなるくらいです。稽古場で改めてミュージカルってすごいな、メロディーがつくことでこんなに胸の奥まで感情を届けることができるんだって、毎日実感しています」
「光男は甘えて生きている人間なんですよね、父親に対して。お父さんは昔からの古き良き心を守り続けていて、息子を幼い頃と同じように慈しむ感情をいつまでも持ち続けている。一方の光男は、夫婦で今までのモノをすべて棄てて新たな時代を掴みにいきたい世代。大人になるにつれて母親がいなくて父親とずっとふたりで生きて来た関係が、次第にすれ違ってしまうんです。親子って近いようですごく遠いところがあって、言いたいことも言えなかったりっていう…その距離感が、すごく歯がゆくてせつないんですよ。抱きしめたくなるくらいに。お父さんは愛情故に息子に余命のことを伝えられなくて、息子はそんな父親に対して“なぜ今僕に言えないことがあるんだろう、なにを隠しているんだろう、どうして昔みたいに話しあえないんだろう”っていう気持ちからどんどん溝が生まれてしまう。でも、このお話は決して悲しいだけではない。むしろ、楽しいし笑えるところが多いくらいです。
亜門さんも“余命を宣告されて、まだ少しでもなにかできるかもしれない、取り戻せるかもしれないという人間の姿は、ある人が観れば悲劇かもしれない。でもある人から観ればそれは喜劇にもなる”っておっしゃっていて、本当にそうだよなと。同じシーンを観てもある人は涙し、ある人は大声で笑える。ひとりの男の人生をひとつの舞台で描いていくというエンターテインメントですから、喜怒哀楽が全部入っています。ここまで観る人それぞれの人生観、価値観によって全然違った感触の作品になる物語も、なかなかないんじゃないかな」
「繊細な温かい心をお伝えできる舞台だと思います。この作品自体で伝えられることはたくさんあって、それはもう役者としての醍醐味なんです。ある作品、ある役を通してお客さまに“大切なコト”を伝えていくっていうことが唯一できるのは、役者しかいないので。僕は日本を愛して止まない人間ですので、こうして作品を通してその文化や歴史を守り伝えていく一部になれるのも光栄です。ぜひ肩の力を抜いて日本の古き良き心、親子愛に触れてください。そしてぜひ、また新たな市原隼人を感じていただければ嬉しいです。ザ・エンターテインメント、ザ・ミュージカル、そしてこれぞ演劇というこの舞台、どうぞみなさんで楽しんでください」
Writing:横澤由香/Photo:小林修士(kind inc.)
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