「オファーをいただいた段階で台本を読ませていただいたのですが、過去に自分が見てきた『ミッドサマー』など海外作品が頭の中に浮かび、日本であまり見たことのないタイプだと思いました。ストーリーは面白いですし、私自身、昔から死について考えるタイプで、史織の考えや死恐怖症についてわからないということもなかったので、史織という役は演じてみたいと思いました。でも、この作品を全体的に見たときに難しすぎるかもしれないという迷いもあって。文字を読んでいるだけでは、特に後半の展開がスクリーンの中でどういう絵になるのか、自分の脳内のキャパシティがついていけない感覚でした。最初はそういったふわっとした感じだったんですけど、監督とお会いして話していく中で自分自身の死に対して思うことと、監督が考えていることが似ている部分がありました。日頃死に対して思うことだったり、子供の頃からずっと考えてきたことが、監督の考えていることと似ていて、初めて会ったのに通じた感じがありました。ラスト辺りのセリフについて、監督がこのセリフには僕の思いが込められていますとおっしゃっていて、それを聞いてからこの作品に踏み込んでいける感じがしました。監督が実際に思っていることなんだと思いながら台本を読むとしっくりくる感じがあって、ふわっとしていたものがカチっとはまったような気がして、大丈夫だと思いました」
「私自身、死恐怖症とまではいかないんですけど、死んだらどうなるのかとか、夜寝るときになんとなくこのまま目が覚めなかったらどうなるんだろうと考えることがあります。自分で死を選ぶ人もいますけど、不意に死のタイミングが訪れたりして、死は自分で選べないものというイメージが自分の中にあります。そういう死に対する人それぞれの考え方や死んだらどうなるのかという想像は作品によって描かれ方が違うし、幽霊を見たことがある人もいれば見たことがない人もいますよね。この作品のセリフにもあるんですけど、境目が存在しないという考え方は、自分自身と史織、監督の3人でリンクする部分はありました」
「大胆なのかビビリなのかわからないというか(笑)、危なっかしさみたいなものがある女性だと思いました。自分の居場所を作ろうと種をまいているんだけど、まきすぎて結局居場所が作れない。元彼の啓太との関係性が唯一の場所のようにも思えるけど、彼には別の居場所があって、自分だけではない。結局1人ということをずっと感じています。だからこそ、団地に入って加奈子に出会って、1人だけど1人でないと感じたり、団地の人たちのつながりみたいなものを羨ましくも感じたりするのかなと。また、死をすごく近くに感じるからこそ生きているという感覚がどんどん湧いてきます。その史織の高ぶり方など、細かいところを一つ一つのシーンの隙間で表せたらいいなと思いました」
「この作品は短い日数で撮ったので本当に大変でした。でも、割と順撮りだったので、自分自身がどんどん削られれば削られるほど、引き込まれていくほどきちんと絵に投影されていく。その安心感というか信頼感がありました。それでいいんだと思える部分はあったので、順撮りでなかったらしんどかったかなって思います(笑)。むしろクマができてもいい、やつれていってもいい。そう思えるものがあったので、団地に入ってからは流れに身に任せていました。加奈子ときちんと対峙していけば、何とかなるんだろうなって。あとは監督についていくしかなかったです」
「現場で一度自由に動くことを良しとする監督で、基本的に一度段取りを任せてくれました。引きで見たときにホラー映画として扉を開けてから一歩踏み出すまでの時間が長い方がお客さん的には怖いとか、ただ通路を歩いているだけのシーンでも、私が不意にどこかを見るだけでお客さんはそこに何があるのかと思うから、視線の遊びみたいなものはいろいろやってみて欲しいとアドバイスをいただきました。ホラーの見せ方のようなことを教えていただきました」
「以前、筒井さんとご一緒したときは看護師の役だったんですけど、とても優しい役だったんですね。今回は空気感がガラッと変わって、筒井さんがいらしてくださるだけで現場の雰囲気が引き締まるし、現場に入ってきて筒井さんが加奈子として喋っている姿を見ているだけで、私自身を『N号棟』の世界に引っ張っていってくださいました。自分がその状態まで気持ちを持っていって現場に挑むというよりは、勝手にそこまで引き上げてもらえるようで心強かったです」
「倉くんも花純ちゃんも2回目の共演だったので、知っている人たちという安心感もすごくあったんですけど、花純ちゃんとは特に同じシーンが団地に入ってからはほとんどなくて残念でした。控室に戻る時間もほぼなかったので、現場にずっといましたね(笑)。ワンシーン撮り終わったら次の現場に移動する感じだったので、撮影の合間に仲良く何かをしたというのはないんですけど、ホテルに戻ったとき、夜大きな地震があって、みんなで映画の続きなのかという感覚になって電話で無事かを確認しあったりしました(笑)」
「このシーンは私の顔色がどんどん真っ白になっていくんですけど、一切メイクなど足していません。実際にどんどん血の気が引いていって、それがちゃんと絵に収まっていました。1番大変なシーンはそこだと思うんですけど、6、7時間くらいかけて撮っていて、ずっとその間恐怖心だったり、周りの人に対する疑心暗鬼だったりを感じながら、ホラー映画の怯えていて息が上がっているような感じをずっとキープしていなければいけなかったので、私自身体力がどんどん空っぽになっていきました。最後の最後に一気に長回しで撮ってもらえたので、ここで出し切ればOKをもらえるというのは何となくわかっていたし、出さなきゃいけないというプレッシャーも感じていたので、その1テイクにすべてをかけた感覚でした。映像を見たとき、自分の姿を見ても覚えていなくて。1人で長ゼリフをしゃべっていたと思うんですけど、よく言えたなっていうくらい、お芝居という感覚はなかったです。最後は、ただただ筒井さんと2人でぶつけ合った感じでした。スタッフさんもたくさんいて、キャストの人たちもたくさんいたはずなのに、あの瞬間は私たち2人しかいないような感覚になっていました。映像を見たときに私は1回ここで死んだのかなって思うほど迫力のある絵だったので、それがちゃんと映像に残ってよかったです。それほど全身全霊をかけて臨んだシーンです。クライマックスのシーンは、終わって外に出たら朝でした。血糊などあまり落とさず、そのまま車に乗って帰った記憶があります(笑)。このときの救いは、別の仕事が入っていたことです。完全に別の作品に切り替わるから大丈夫だったのかなって。普通にこの作品だけ1本撮っていたらどうなっていたんでしょう(笑)」
「死と向き合うことが、生きることと向き合うことだったんだと気づきました。最初に台本を読んだときは気づかず、死としか向き合えなかったんです。この作品に対してどうしてこんなに死について訴えかけるんだろうって疑問を感じたんですけど、死についていっぱい問いかけるということは、じゃあどう生きるのかっていうすごく前向きなメッセージだったんだなって。史織という役を作っていくにあたり、そのことに途中で気づいて、死を間近に感じることで生をより実感した作品です。作品を見た人が今をどう生きるのかということ、自分の人生を生きることに対して向き合ってもらえたらいいなと思います」
Writing:杉嶋未来
MOVIE
4月29日(金・祝)公開
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