STAGE
市原隼人 ミュージカル「生きる」製作発表会見!
同作は、スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスなどをはじめ、世界じゅうの映画監督に影響を与えた「世界のクロサワ」こと黒澤明監督(1998年没)が1952年に発表した代表作「生きる」を、グラミー賞受賞の作曲家、ジェイソン・ホーランドと、日本を代表する演出家、宮本亜門がタッグを組みミュージカル化。まもなく60歳で定年を迎えようとしている市民課長の渡辺勘治が、当時、不治の病とされていた胃がんになり、死んだように生きていたこれまでの人生を悔い、自分の残りの人生をかけて、市民のために小さな公園を作るというヒューマンドラマで、黒澤作品がミュージカルになるのは世界初のこととなり、大きな注目を集めている。
役所の市民課に30年勤め続ける渡辺課長は、毎日変わりのない日常を過ごし、黙々と仕事をするばかり。そんな時、身体の不調を感じ病院に行き、自分が胃がんであることを知る。あまり時間が残されていないことを知った渡辺は、これまでの人生を考えて苦悩する。
初めて欠勤し、貯金から5万円をおろして夜の街を歩く。知り合った小説家と遊び周るも空しい気持ちが残る。
そんな折、偶然街で出会った同僚の女性 小田切とよと何度か食事を一緒にする中で、その若さ、生命力に魅かれていく。渡辺は、とよに胃がんであること、生き方への悩みを告げる。そこで、とよから「何か作ってみたら?」と提案され、渡辺の新たな人生が始まる。
市原は、主人公・渡辺勘治(市村正親/鹿賀丈史(ダブルキャスト))の一人息子・渡辺光男を演じる。
会見にて、「僕には合わないのかなと思い、ミュージカルはずっとご縁を避けてきました。でも30歳を超えて、いろいろな世界を見たいと思ったんです。そのきっかけは僕の父親で、しばらく体調が優れず、今は車椅子も自分で動かせない状態です。そんな父を見ていて、何で親父にもっといろいろなことをしなかったんだろうという思いと、、、親父から若いうちにもっといろいろな世界を見たほうがいい、動けるうちにいろいろなことをしたほうがいいと教わりました。そんな思いも含めて新たな世界に足を踏み入れたいと思い、敬意をもってミュージカルに参戦させていただきます。よろしくお願いします。」と心境を語った市原。
会見前日まで行われていたワークショップで、初めてミュージカルの現場に参加した市原だが、「お客様の感情をより動かすことができるのがメロディや音楽、間合いなんだと改めて感じました。(市村さん、鹿賀さんが出演されている)『ラ・ カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』を観劇させていただいて、そのすぐ後に楽屋へ挨拶に伺ったのですが、その時に市村さんが(『生きる』のラストソング)「ゴンドラの唄」を歌ってくださったんです。興奮というか感動というか、言い表せない感情が出てきて、舞台の上でも感じたのですが、セリフだけど歌、歌だけどセリフのようでした。観ているお客様によって観点も違うし、何度観ても楽しいのがミュージカルなんだと感じました。そして、昨日のワークショップは市村さんとだったのですが、声を聞いて、父と子の絆や声のパワー、胸の奥に突きるような優しさを感じ、涙をこらえるのが必死でした。この感動を皆さんに観ていただきながら持ち帰っていただいて、いろいろな方に伝えていただけたらと思います。」と話した。
その後、マスコミ向けに囲み取材が行われ、「公演まで半年あるので、やるべきことをしっかりやって臨みたいです。また、親子の話でもあるので、優しさと大胆さをお伝えできるように努力したいと思います。」と話すと共に、歌の猛特訓を行っているとのことで、「ワークショップで朝からずっと練習して、声がガラガラです(笑)。メロディももちろんですが、役者なので感情を伝えることを第一に歌っていきたいです。」と意気込んだ。
また、市村さん、鹿賀さんについて、「舞台を支えてくださっている大先輩。言葉数は少なくても背中で見せてくださる鹿賀さん、包容力があって優しい言葉をかけてくださる市村さんがダブルキャストになることによって、全く違う舞台になると思います。大好きなおふたりです。」と笑顔をみせた。
最後にタイトルにちなみ“生きる目標は?”という質問があがり、「本気で泣けて、笑えて、悔しがって、物事の根源を大切にし続けること。役者はどうやって始まったのか、エンターテイメントってどうして始まったのか、お芝居って誰の何のためにあってどこに向かうべきなのか。ずっと考え続けることが生きる糧です。」と力強く語った。
ミュージカル「生きる」は、10/8(月・祝)~10/28(日)東京・TBS赤坂ACTシアターで上演。
ぜひご期待ください!
(敬称略)