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常盤貴子 主演映画「だれかの木琴」初日舞台挨拶!
同作は、観る者が心の奥底に抱える孤独を解き放つ、魂の美しき共鳴の物語。平凡に生きてきた主婦・親海小夜子(常盤貴子)が、ふとした心の隙間に入って来た美容師の男・山田海斗(池松壮亮さん)に、どうしようもなく心を囚われていく。あなたなら、この〈名前のない想い〉を何と呼ぶ?好奇心…衝動…執着…恋…それとも欲望? エスカレートしていく彼女の言動に息をのみながら、私たちはふと気づくだろう。SNSでフォローしている特別な相手に対してやっている自分の行為と似ていることに。休日に誰とどこへ出かけたのか、今どこで何を食べているのか、見たい、知りたい──。
閉塞した現代社会で孤独を癒すためにSNSに逃げ込む私たちと、癒す術を持たず美容師の男にのめりこむ主婦、そんな女の飢餓感を見つめる男の〈想い〉が重なり合っていく。愛と呼ぶにはあまりにも危険で切ない、求め合いねじれゆく男と女をスリリングかつエレガントに描く、大人のためのサスペンスが誕生した。
上映後に行われた舞台挨拶にて常盤は、「本日は『だれかの木琴』に朝からお越しくださいまして、ありがとうございます。今、映画をご覧になった皆さんだと思いますので、モヤモヤの絶頂期かと思いますが(笑)、朝に観たからこそ、今日出会った人、接した人、すれ違った人に対する見え方がきっと違ってくるであろう映画だと思うので、このモヤモヤを十分に楽しんでください。」と挨拶。
小夜子と海斗がどことなく共鳴しているようにも見える部分について、何が共鳴していたのか常盤の見解を聞かれると「現代社会に潜んでいる孤独でしょうか。撮影中はそんなことも考えずに、ただただ小夜子としてそこにいようと思っていたのですが、完成した映画を観ていろいろな取材でお話をさせていただく中で、それなのかなと思うようになりました。」と分析した。
小夜子の行動を演じる上で気を付けた部分については、「異常に見せることはしたくないと思いました。異常に見せるやり方はいくらでもあるし、皆さんの想像する分かりやすいストーカーにすることはできたのですが、私はやっぱり観客の皆さんの頭の中を信じたいというか、人間の想像力はとても豊かだと思うので、その想像力の中で私をそういう風に見てくだされば、もっと怖いものがそれぞれの皆さんの中で出来上がっていくんじゃないかなと…。東(陽一)監督の映画ですから、余白は凄くある映画なので、ぜひそういう部分を膨らませていただけたらなと思います。監督の映画だからこそできる挑戦でした。」と語った。
さらに、“孤独”というものに自身はどう向き合っているかを問われると、「私は孤独を楽しむタイプ。どんどん部屋の明かりを暗くしていったりして、孤独な状況を最大限にして、『怖っ!』ってなるのが好きです(笑)。それで大泣きしてみても誰にも届かないみたいなのが面白いなと(笑)。でもそれを楽しんじゃうのは孤独が足りていないということですよね…もっとストイックになりたいと思います。」と意気込み、笑いを誘った。
最後はご来場いただいた皆様に向けて、「憧れの東監督に出会うことができて、今日この日を共に迎えることができて、こんな幸せな日が来るなんて20代の頃の私に教えてあげたいと思うのですが、そんな出会いがこの先もあるのであれば、私はこれからもまだまだ頑張っていきたいなと思います。最近、ご家族やご夫婦、恋人同士で、不倫について語り合うことが多かった思いますが、そういう報道とかをテレビで観る度に不倫の境界線っていうのはどこなのかということを考えていたりしていて、やっぱり人の頭の中にまで入り込むことはできないし、その中で何が起こっているのかは誰にも分からない…それって凄く怖いことで、そういうことを想像させてくれる映画だと思いますので、この珍しいタイプの映画をより多くの方に観ていただきたいと思います。どうぞこれから1度のみならず2度3度とご覧になって、この映画への理解を深めていっていただけたらと思います。今日はありがとうございました。」とメッセージを送った。
映画「だれかの木琴」は、有楽町スバル座、シネマート新宿ほか全国公開中!
ぜひ劇場でご覧ください。