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内野聖陽 主演映画「海難1890」クランクアップ報告会見!
同作は、125年前に和歌山県樫野崎(現:串本町)沖で遭難した『トルコ軍艦エルトゥールル号海難事故』と、その95年後にイラン・テヘランでトルコ人が日本人を救出した『イラン・テヘラン在留邦人救出事件』の2つの実話をもとに製作された日本・トルコ合作映画。監督は、映画『利休にたずねよ』でモントリオール世界映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞した田中光敏監督がメガホンを執り、日本・トルコ友好125周年を迎えた今年、両国の“絆”の深さを映し出す物語が誕生した。
1890年9月、日本への親善使節団としての使命を終え、帰路についたトルコのエルトゥールル号は台風に遭遇し、暴風雨のなか和歌山県樫野崎沖で沈没。和歌山県紀伊大島樫野に住む医師・田村は村民たちと共に救出活動を行うも、500名以上が犠牲になった大惨事となった。翌日、漂着物を綺麗に磨き母国の遺族に返そうとする村人たちの姿を見たトルコの海軍機関大尉・ムスタファの胸には、人を想う日本人の深い真心が刻まれた。
1985年のイラン・テヘラン。サダム・フセインが48時間後にイラン上空を飛行するすべての飛行機を無差別攻撃すると宣言する中、日本は救援機の対応が難しい状況にあった。日本から救援機の要請を受けたトルコはそれを承諾したが、テヘランの国際空港には救援機を待つトルコ人で溢れていた。その状況を見た日本人が飛行機に乗ることを諦めかけたそのとき、トルコ大使館の職員・ムラトは、かつて日本人から自分たちが受けた真心の歴史をトルコ人に対して語り始めたのだった……。
内野が演じるのは、和歌山県紀伊大島樫野(現:串本町)に住んでいる医師・田村元貞(もとさだ)。元紀州藩士で、刀道の腕前も相当。貧しい者からは治療費をとらず、村人から慕われており、語学にも堪能で漁村のリーダー的存在という役どころだ。
内野は役作りについて、「歴史的な事件・事故は、嘘や誇張、噂などで事実とは違う方向に伝わってしまうこともあり、エルトゥールル号の事故も、今となっては、もしかしたら事実とは違う部分があるかもしれません。でも、実在の資料をを見る中で、目の前にいる苦しむ人を助けたい、という医師たちの心意気や良心だけは確実に存在していたんだということを感じ取ることができました。それを役に投影させられるように作っていきました。」と語った。
エルトゥールル号事故のことについては、「トルコでは、小学5年生の教科書に載っているほど歴史的事件としてとらえられていて、それ故に親日的だということを聞いています。僕自身はテレビ番組で見たことがあり知っていましたが、日本には知らない方も多くいるのではないかと思います。この作品は、映像記録としても残っていく宿命にあり、“僕たちの次に続く世代に誇れるような映画を作りたい。これは良い機会だ”と思い、監督に二つ返事で『ぜひやらせて下さい』と申し上げました。」と話した。
撮影については、「沈没事故が題材の作品なので、トルコ人のキャストはずぶ濡れになり、ボロボロの服を着て血まみれで、さらに冬の撮影だったので、待ち時間もガタガタ震えていたんです。しかし一言も弱音を吐く人はいなくて、でもあまりに長時間、水に濡れていたので、僕が『Are you OK?(大丈夫か?)』と声を掛けたら、青白い顔をしながらもニコッと笑って『Nice to meet you.(初めまして、よろしくお願いします)』なんて突然挨拶をされて驚きました。この方たちは国の威信を背負いながら撮影に参加されていることを感じ、僕も負けられないなと思いました。大変でしたが、“作品の心を伝えたい”という思いが充満していた現場で、力のある作品になっていると思います。和歌山県串本町での撮影は、昼時に美味しい手料理を振舞って下さったりと、スタッフ、キャストを温かく迎えていただきとても嬉しかったです。」と振り返った。
最後に、「家族はもちろん、他者を思う純粋な気持ちが当時の彼らを突き動かしたことで、遠く離れた日本とトルコの友情が今でも続いているんだと思います。この作品を通してそのことが世界中に伝わればとても素敵だなと思います。」とPRした。
同作は、日本の外務省後援、トルコ政府全面協力という国家プロジェクトとしても注目されており、この日の会見でも、日本の安倍晋三内閣総理大臣、そしてトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領のビデオメッセージが上映された。
映画「海難1890」は、12/5(土)より全国ロードショー。
ぜひご期待ください。